水屋神社
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水屋の大楠

 県天然記念物。樹齢千年、樹高35m、根回り29m、胸高周囲16.63m。
  春日さま、お稲荷さまを祀っています。
 悠久の時を経ても、毎年緑あざやかな若葉を繁らせ、訪れる人々をさわやかな自然美で迎えてくれます。

 

正八幡宮額

 水屋神社の拝殿に「正八幡宮」の額が掲げられています。
「源義経が文治の頃吉野の山を出て伊勢の神宮へ参詣の途次、今のサガミ峠にさしかかるや突然黒雲が起こり、八幡の旗が雲の中よりひるがえった」(勢陽俚諺)といいます。義経はこの吉兆に慶び、ここに八幡社を建立したと伝えられています。明治四十年、水屋神社に合祀されました。

さざれ石

 国歌「君が代」に詠われている、岐阜県揖斐郡から贈られた「さざれ石」が置かれています。

 

 境内のあちらこちらに桜があります。春宵ライトアップされた桜は絶品!一度ご覧になってはいかが。

むささび

 境内には多くのむささびが棲息しています。人懐っこく、夕暮れ時に現れます。

 

日本栴檀(センダン)

 5〜6月にかけて素晴らしい花が咲きます。



閼伽桶の井(あかおけのい)

 当社の西方約700mにあります。
  お水祭りではこの井戸からくみ上げた神水を入れた二振りの閼伽桶を水御輿に載せ、本社へ渡御します。




 

姿見の池

『倭姫命世紀』によれば、垂仁天皇二十二年、天照大神がご鎮座される地を求めて伊勢に入られた倭姫命がこの地を旅したとき、作滝村の滝野神社に泊まられ(この神社はその昔高宮ともいわれ、天照大神と乙加豆知命が祀られていた。しかし明治四十四年に水屋神社に合祀され、現在では神社の跡地は公園になっている)、この「姿見の池」で自分の姿をお写しになり化粧をされた、という。

櫛田川

  お宮に参拝された方はお宮の下に流れる櫛田川の辺を散策されてはいかが。

 

本居宣長の歌碑

いにしへに
たがおこなひし
なごりとて
名にはおひけん
閼伽桶の里

礫石(つぶていし)

 当社の東方200mの和歌山街道沿い、櫛田川中にあります。 「国分け伝説」が伝わっています。

◇◇ 「国分け伝説」 ◇◇
 むかしむかし、ある日のこと。天照大神(あまてらすおおみかみ)が白馬に乗って旅をしていました。飯高町の赤桶(あこう)にさしかかった時、「誰か、この地の国境を知るものはいないか?」とお尋ねになりました。
 すると、水屋の森から春日の神でもある天児屋根命(あめのこやねのみこと)が現れ、「この下の“堺ヶ瀬” が伊勢と大和の両国の堺でございます。」と答えられました。ところが大神はその答えに満足されず「この堺はちょっとおかしい」とおっしゃられ、石を川に投げ入れて、波の止まるところを国境と決めることになりました。
 大神はそばにあった大石を軽々と持ち上げ礫のように川の中へ投げ込まれました。川水は滝のように流れ落ち、後にそのあたり一帯は「滝野」と呼ばれるようになりました。また落下した水は川上へ流れ込み、その波の様子からそれぞれの地名を「加波(かば)」の里、「波瀬(はぜ)」の里、「舟戸(ふなと)」の里、そして波は止まったところを「波留(はる)」と名付けました。波は高見山にまで達し、大神はこの日から高見山を伊勢と大和両国の国境とするとお決めになりました。(旧飯高町ホームページより)