台湾・台南市「白馬将軍廟」から日本軍神「吉元将軍」が祖国・日本、わが水屋神社にご帰還、鎮座されました(神社斎館にてご神宝としてお祀り申し上げています)。
【「吉元将軍」とは】 (亜東関係協会の永山英樹氏による)
昭和三七年(一九六二年)、台南市・中山女子中学の整地の折、台湾の中興の祖と呼ばれる鄭成功軍の部将である謝府以下、一〇六七名の骨壺がこの場所で発見された。謝府は福建省・海戸出身の歴戦の勇士で、一六六一年(明・永暦一五年)、二千余の部隊を率いて台湾攻略の先鋒となり、オランダ軍と五ヶ月に及ぶ激戦の末、その部隊共々全滅したのだという。
それからというもの、多くの市民の夢枕に白馬に乗った謝府が現れ、しばしば人々の救済の霊験を顕した。かくて謝府は「白馬将軍」と崇められ、翌年には市民や市政府によって廟が建てられ、遺骨も納められたのだという。
廟の三体のご神体の主神はこの「謝府元帥」であるが、左輔神が近代服を身に纏った日本人である。「謝吉元将軍」と称し、出身や事績ははっきりしないが、謝府側近として鄭成功に従った人らしい。吉元将軍の謝姓は廟の登記の時、外国人名ではおかしいという理由から義兄弟・謝の名を付けたのだという。また近代軍服というのは神像制作者がこの時代の日本人の服装を知らなかったからということらしい。いずれにせよ、この廟に詣でると霊験あらたかだと評判になり、とりわけ経済界に人気があるという。 |