水屋神社には伏見のお稲荷さんが祀られています。それについては先代宮司がその著「ふるさとの訛なつかし」(一三〇〜一三四頁)に、文政五年(一八二二)に赤桶村の代参人として佐野伊右衛門さんらが京都伏見にお稲荷さんの分詞許可状をいただきに行った、と水屋神報の九号、十号に、書かれているとおりです。先日私は伏見に行き、それを確認しましたところやはり事実でした。以下、井関禰宜さんの書簡を記します。
前略 先般は猛暑の中、遠路ご参拝戴き誠に有難く厚く御礼申し上げます。さて、今般御社名誉宮司様の「ふるさとの訛なつかし」書の中に、当社より拝戴した神璽授与の書付が示されておりますことについて当社の年表に調べました処、秦為縞氏は文政五年当時、当社の正禰宜とあり、姓名を松本為縞と申し、秦氏の直系の子孫であります。 当時、当社は社家制度により秦氏の子孫が当社祀官として奉仕していたのです。更に当時の"神璽授与"の方法は各当社祀官の各家から授与されていたもので證書に「本宮祀官・身分・氏名」等を記して授与していたものです。この為縞氏は、天保九年より明治元年まで惣官社務下社神主を務め、正三位・非蔵人として御所にも出仕していた人物です。以上、簡略ながら貴社神璽が当社より授与されたものに相違ありませんので、今後も末永にお祀り下さればと存じます。
早々 |
平成十六年七月二十八日 |
井関勝弘 |
久保憲一様 |
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この時代、何故わざわざ京都の伏見からお稲荷様をお迎えしなければならなかったのか、今となっては知る由もありません。おそらくそうせざるをえない何か大きな事情が生じたのでしょう。とにかく、大楠の前には小さな祠の大楠社(故角谷光蔵さんが礎石を製作してくださった)が建っており、そこに天児屋根命(春日さま)と宇迦御魂神(お稲荷さま)が分祀されていました。しかし十年ほど前、老朽化がすすみ、一旦取り除かれました。今もそのままになっています。この際、もう一度先祖の思いにこころを馳せ、大楠社を再建したいものです。
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