明日十七日は、来る当社中遷宮の「手斧初め(ちょうなはじめ)」が遂に斎行されることになりました。氏子崇敬者皆様による平生数々の御協力と御理解の下、中遷宮準備に取り掛かる運びになりましたこと、宮司一同厚く御礼申し上げます。
さて、最近当社に残る古文書を整理していましたら、寛延四(一七三九)年頃における牛頭天王社(現水屋神社)境内の様子が記された記録が見つかりました。当時の境内は今とどう違っていたのでしょうか。ごく簡単にまとめてみると、
・御神体 中・左・右の石壇三座に五神(牛頭天王・龍神女・蘇民将来・稲田姫・春日大明神)を祭る。極朱色の「春日造」であったが当時は本殿が無いと記されています。
・井垣御門 一宇長さ十五間(約二十七メートル)横十間(約十八メートル)
御神体を囲む板塀と門のことと思われます。
・鳥居 一宇
・拝殿 一宇 長さ五間(約九メートル)横三間(約五メートル半)
・神楽殿 一宇 五間四方(約九メートル四方)
この当時はかなり痛んで使われていなかったようです。
(一間を百八十センチとして換算しています)
これらの場所が正確に分からないのが残念です。ここには社務所が書いて無いですが、瀧野神社神主の瀧本氏がすぐ近くの作瀧からやってきて兼務をしていましたから、作る必要がなかったのかも知れません。また神楽殿が有ったというのも驚きです。また鳥居は現在の正面のもので、本殿脇の鳥居は当時は無かった模様です。
他に記載されているものとして、境内の神木があります。古杉二本・古檜一本・古楠一本(大楠です)が書かれていまして、それぞれが伊勢神宮や八幡宮・瀧野神社・山神などの遥拝所として使われている様が記されており、大変面白い内容となっています。(細)
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