私がこの水屋神社にお世話になってからもう半年以上が経ちました。私やもう一人の出仕常山君もそれぞれ嬉野町・津市の人間で、飯高町というと「山奥」「お茶が美味い」「米があまり取れそうもない山奥なのになんで飯高なのかな」などと考えたりしておりました。
我々がお世話になってからというもの、夏越大祓の盛大な挙行、お水送りの復活など、多くの素晴らしいニュースが続き、私達も今まで以上に気を引き締めて微力ながらお役に立ちたいと思っても居ます。
さて、先ほども申しましたが、飯高町というとどうしても「山奥の不便な」というイメージを平野部や都会に住む多くの人々が思ってしまうのは残念ながら無理からぬことでしょう。飯高町役場が発行している町報の特集(二〇〇一年五月号特集)には、飯高町へ何故やって来たのかのアンケートに、
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自然と親しむ(蓮ダム・森林浴・荒滝・高見山・ホテルスメール周辺など)
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和歌山街道散策
などが挙げられ、これらの人はまた、「ちょっとブラリ」が約七十五パーセント、「観光」が二十五パーセントと、気軽に来れる自然の豊かな場所という意見が多いようです。
この「ブラリ」が大変多いというのはとても重要だと思います。なぜなら、飯高町が「気軽に日帰りで来れて、自然が大変豊かである」という、都会の人たちが好きなときにちょっと一服したいときに来れる、身近な場所であることを表しているからです。たしかに、水屋神社に来られる方で多いのが (1)津(2)松阪(3)伊勢(4)奈良(5)大阪方面 といった具合で、「ブラリと遊びに来たついでに」という方が多いようです。大阪からも日帰りで来れるというのはすごいですね。
ただこの町報の続きに、来てみて「悪いところ」というのがあります。挙げてみますと、
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前より川が汚い
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案内板が少ない
などがありました。確かに観光目的で来る人が多いわけですから、案内板が少ないのは致命的では有ります。しかしより問題なのは「川が汚くなっている」という意見だと思います。
この飯高町は櫛田川の上流域であり、分水嶺の高見山を含む水源ということが出来ます。水は生命の源であり、森林は天然のダムであります。そしてその森林も、豊かな水資源の下で育っているわけです。しかしながら残念なことに、近年の材木不況で山は荒れ、また雑木に代わって杉や檜が植林されたため、山林の抵抗力や保水力が年々落ち、引いては水質の悪化、水量の減少を招いているとの事です。長い年月で考えたときに、大変深刻な問題といえるでしょう。
ここでこの水屋神社の「お水送り」を併せて考えてみましょう。お水送りは先ほども書きました様に、水を掌る神「龍神姫命様」が、この櫛田川の源流に御鎮座されていることから始まったようですが、先に述べた櫛田川流域の自然環境が悪化しつつあるこの時期にこの神事が復活するということに、大変な意義を感じます。この神事は当時における清浄な水・貴重な水の象徴であり、当時の人々の水に対する強烈な憧れを表すものと考えられます。まさに水の大切さ、そして神水をお納めする誇りを持って永く谷の人々により守られ育まれてきた祭典であると言えます。
また近年、特に都会の人々の中には「昔帰り」の風潮があると言われます。都会の喧騒に包まれて日々あくせく働く人たちの多くは都会生まれ・都会育ちで、「田舎」と言える場所や記憶を持たない人たちは自然と古い物を懐かしみ、自然に触れ、祭りを楽しみたいと考えるのだそうです。
「ちょっとブラリ」の人たちの中には、この飯高の自然を心の「田舎」と思っている方もあるいはおられるかも知れません。今、一つの「田舎」の自然が変化を来たしつつある現状を考えるとき、これら飯高町外部の人々を交え、櫛田川や森林の将来を考える機会が必要かもしれません。
その多くの取り組みの中で、過去と対話し、水の大切さ・森の大切さを考える切っ掛けとして、このお水送りを捉えることは、大変有意義なものになるのではないでしょうか。
神道では「古きを継承する」ということを大切にします。伊勢神宮の式年遷宮然り、皇室の年中行事然り、伝統をしっかりと守ることで私たちの自信や基盤となり、初めて新たな創造に踏み出せるからです。このたびのお水送り神事の復活は、本来の形に復活することで、奈良と伊勢の新たな関係の始まりを予感させるとともに、先に述べた、飯高町全体のあらゆる方面からの活性化にも繋がる可能性を秘めるものと言えましょう。
この大事業を復活させ、更なる発展を考える時、この地で当神社を守り続けて来られた氏子崇敬者の皆様の御理解御協力が不可欠であります。お水送り神事開始以来、皆様の御先祖達が誇らしく継承してきたこの行事、是非とももう一度、皆様とともに復活させましょう。(細)
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